宗教が戦争の原因ブリキの太鼓さん「宗教の排他性が紛争に拍車をかけているような、そんな気がしてならないのですが。」 ------------------------------------------------------------- 宗教の排他性が紛争に拍車をかけている現実があると、ボクも思います。 一神教と言われるキリスト教を始め、ユダヤ教、イスラム教はどうして排他的なのでしょう。 世界で神は一人と考えるからです。でもこのことそのものが、戦争の原因となることは、考えにくいのです。神様は、他の神様を信じることをお嫌いになるけど、実はこの3つの宗教は同じ神様を信じているのです。 だから戦争の真の原因は、ほかにあると思います。 「敵を愛しなさい」 キリスト教固有の立場から言えば、自分や自分の神を冒涜されても、「その人を愛し受け入れるように」と言うイエスの命令があります。 イエス御自身が、ご自分を亡き者にしようとした人々に逆らわず、彼らに身をまかせ、十字架の道を歩まれました。キリストの生き方を調べれば、宗教の違いによる諍いは止揚されていることがわかります。 ナチス・ドイツは、ユダヤ人(ユダヤ教徒)に、「ここで死ぬか、キリスト教に改宗するか選択せよ」と迫ったと言われていますが、そういうあり方はイエス・キリスト様の生き様からは出てきません。(ナチに抵抗して殺されたボン・ヘッファーのような牧師もいました) 宗教は人の心を治めるために、利用されやすいものです。人間の差別のためにも利用されます。信者が、キリストが歩まれたように歩かないから、問題が起こって来ているのかも知れません。 国家や文化、また貧困や富の問題(あるいはひっくるめて「人間の欲望」と言ってもいいでしょう)それらのものが、キリストの道より優位に立っている(立たざるを得ない現実?)から起こって来ているのでしょう。 信者たちはイエス様が生きられたように生き、語られたことを守って生きたいと思います。イエス様が願われたように、信者も願いたいと思います。 しかしすべての信徒がそう生きることができるのではない。現実はあまりにも厳しいものがあります。 テロ活動がなぜ起きるのか、それは考えなくてはならないとしても、現実に飛び込んでくるテロリストたちに「右の頬を打たれたら、他の頬をも」出すわけには行かないでしょう。では、危機の時、危急の際、信者としてどうすれば良いのか。それぞれの信者の決断に、神さまはお任せになっているのではないでしょうか。 今日はこれくらいで・・・・ ジャンル別一覧
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